三田巡朗のぐるっと廻って

事物(もの)を知らないまま大人になってしまった。自然と共に。

沈黙の春

コブシの冬芽

イメージ:コブシの冬芽 (2012年10月19日撮影)

沈黙の春レイチェル・カーソン著

幼少期に、「川に入るな」「不自然な立ち枯れの草地に近づくな」「田畑もこの時期は近づくな」「輸入もののフルーツや野菜には強い薬品がかかっている」と言われた記憶のある私は、本書に興味が湧いていた。

「沈黙の春」は、自然破壊について警鐘を鳴らした先駆書として広く知られている。原著は、1962年に、日本語訳書は1964年に出版されている。

本書では、私たちの周りに溢れている化学物質を放射能と同様の生物の核を破壊し、生活を脅かす脅威として捉えており、当時の惨状を表す証言や、データをもとに、
殺虫剤と農薬、除草剤、工場排水に含まれる化学物質の生物への影響を、数世代先に起こる予想も絡めて書かれている。
半世紀を経て、当時の見解が必ずしも正しいとはされない論述もあると思うが、今、私たちの周りで起こっている事象を鑑みると、概ね書かれていることは、間違っていないと思える。そして、人間の本質は、半世紀経ても相変わらずだとも思わされる。

個人的には、3.11 フクシマの放射能 と1950年代に世界中でばらまかれた大量の化学薬品による環境汚染の経緯が重なる。
影響もよくわからないまま人の生活圏へ飛散したこと、慌てて安全基準値が作られたこと、結局は、一般市民がモルモットになっていること。

半世紀前も、科学力で自然を征服できると勘違いし、安全を安易に唱え、害虫駆除を目的として殺虫剤散布をした。結果、害虫どころか、益虫、捕食動物なども全滅させてしまい、タフな害虫は耐性を備え、天敵もいないのをいいことに、以前にも増して蔓延(はびこ)た。だから、薬品の使用量とコストは年を経るごとに増加し、比例してたくさんの生物と人が死亡するか、病気になるという悪循環に陥った。

化学物質は土壌や水中に残留し汚染はなかなか回復しない。その繰り返しで、人は、繁栄のために、自然を壊して生きている。だが、自然破壊に効く妙薬はないし、当分先にもできないだろう。
不退転の決意を持って発癌性物質を生活から取り除き、自然をうまく利用すること。結局、それが人間的で、コストもかからず、安全だという。同感である。

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