Remember Saipan(サイパンについて)
リーマンショックがあり、3.11があり、そのあとに英語圏に出たのは、マイアミが2度目。サイパンは、1度目の話。
以前、閉じてしまったブログに書いていたが、思い出しながら少しだけ。
3.11チャリティの関係で2011年4月半ばに渡ったサイパン。(ちょうど時を同じくして国内では「太平洋の奇跡」が上映されていたが、日本中が東日本大震災のショックで麻痺している状況だった。)
サイパン島には、バブル期に日本企業が建てたホテルが沢山あるが、今は、中国や韓国資本に変わり、日本人観光客の割合は低い。物資は基本的にアメリカ本土から持ち込まれるため、島内に工場はあまりないようだ。
時期的なものあり、美しいビーチでは閑古鳥が鳴いていたが、午後の陽ざしの中、身の回りの品の買い物帰りにビーチを歩いていると、一組のチャモロ民族の家族(旦那と奥さん、乳飲み子と、子供二人とおじいさん)が、昼食と道具の手入れをしていて、子供をあやしていた旦那が私を止めて話した。「日本はどうなっている?なぜ誰も来ない」と不安そうにこちらを見つた。「昔は沢山来た」「おれは、家族のために、沖に留まっているあの船の整備にも3年行ってたんだ」と話した。
-サイパン沖には、3隻の巨大船が停泊しており、それはアジアの治安維持のための軍備だと思っていたが、そうではなく、有事の際の生活支援になる、食料やその他のあらゆる物資が搭載されていることが話から分かった。-
彼のイライラとやるせなさが伝わってきた。彼は私と同年代だった。
サイパンもマイアミも過去数百年の間に国が変わっている歴史がある。
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