三田巡朗のぐるっと廻って

事物(もの)を知らないまま大人になってしまった。自然と共に。

昨日の感動 プログラミングのすすめ/写真:柿田川のエナガ

エナガ

エナガ

(4月18日 撮影)
久しぶりに自然とは無関係のことを綴ってみた。
プログラミングのすすめなんて大それたタイトルを付けたが、万人にすすめているわけではないのであしからず。

昨日は、午後から初心者向けのプログラミング講座へ行った。
三田はいつもプログラムやっているじゃないかと言う人もいるかもしれないが、プログラムを丁寧に教わったり、自分で組んだプログラムが動いて感動したといった原始体験を持っていない。(忘れてしまっている?)
代わりに、プログラム開発のはじめと終わりは、いつも周りの誰か決めてプロジェクトが終わる空しさと、自分が作ったがゆえにメンテナンスなどが発生し、すっきりと離れられないというジレンマがついてまわるものという認識でかたまってしまっているのである。
だから、小さなプログラムを教わって、作る楽しさを感じてみようと思って持って参加した。


1. プログラミングの感動
2. XY軸とZ軸で変わる
3. デザインとアートがごっちゃ

1. プログラミングの感動

一人で新しいプログラムを習得しようとすると既知のプログラムとの差異ばかり気になってしまい、扱いづらさを感じる場合があるけれど、先生と、何人かの受講生がいてくれたので、仕事とは別のマインドで、初心に戻り、安心して、、開発環境をインストールして、そのGUIからアプリのインターフェイスを作り、ボタンにアクションを付けて実行した。動くにきまっているのだけれど、動いたEXEファイルを見ると嬉しい!
こどもが初めて自転車に乗れた時のような感動だ。
そして、先入観が少し壊れ、その分あたらしい可能性を感じた。

2. XY軸とZ軸で変わる

クラスのあと数人で夕食をした。今日日のマーケッターや、営業さんには、効果について考えるのは当たり前なのかもしれないが、三田は、机に向かって手を動かすばかり。概念は

単価×案件数 や、 時給×時間 など、XYの2軸と締切

先を考えている方は、XYに、いつや範囲(どのタイミングでどの程度の規模が効果的)などのZ軸が加わる。
それによって、効果が10倍になったり、10分の1になったりもする。三田のような一馬力でそれを考える必要があるのかと思っていたけれど、これからは、締切じゃなくて、Z軸を意識する習慣を持とうと思う。(多くの場合は、締切とZ軸は同一線上だろうけれど)

話は続く、XYZ軸の効果の仮説や検証も加わる。すごいメソッドだと思う。
話を聞いていると、まるで論文のようで、それこそ完成度の高いプログラムのソースやデータのように「美しい」。

突き詰められたものには、美がある。そんな仕事をしている方々が目の前にいて話をしていることがまた楽しい。

3. デザインとアートがごっち

食事の中で、私は、画家になりたいと言った後、絵も、イラストも、デザインも、写真も、ソースも自分から出たものだからいずれ近づくという話になった時、三田さんはデザインとアートが一緒になっているという話になった。
私は、言いえて妙だと関心してしまった、と同時に、周りから見るとさぞ荒唐無稽に見えるのだろうと思った。(もっと説明力を付ける必要性を感じた。)

さて、話はもとい、
デザインとアート

A. アート 自分が発信するもの
B. デザイン 商業的で他者のニーズに応じるもの
と位置付ける。

こんなこと、半年ほど考えていなかった。
というより、最近は、画家が描いたものがみんなアートかというと、そうじゃないものも沢山あると思うようになっていた。画家も仙人じゃないからやっぱり商売。
能動的に創作するAだけで生きていけるひとは少なく、画家だって依頼されて描くBが多い。もちろんそこにAを込めるのだろうけれども。
その時に、イラストレーターやデザイナーとどこが違うのかよくわからない。

今、三田が画家になりたいというのも、「自分で」撮っている写真よりもいい絵を描けるようになりたいというところが始まりだから、写真から絵を起こしたりするイラストレーターではなく、より個性的なイメージが付きまとう画家の方がしっくるくるということなのだ。

私の場合、私が収入を得ているBの部分の、どの業種でどんな人たちと、どんなことをやりたいというのを大まかに決めているのがAの部分だと思っている。それがあって初めて、人のご縁が起こっている気がしている。

そして、A、Bについて、Aは、イコール自分自身(性格)で、長期的に育てるもの。Bは、短期的に達成していくものという違いがあるのではないかと思っている。

だからA、Bが独立していない私は、デザインとアートがごっちゃになっているのいうのは、その通りなのだと思う。

私の周りにも類に漏れず、価値のないものにお金を払う人はいない。
そして、価値は人によってばらばら。さらに、時がかわればまた変わる。
私は、ものを作るからクリエイターということになっているが、価値を作り出しているかというとグレー。2.などを作り出せる人や、価値を決めれれる人があってクリエイターが存在できている気がする。もちろん私もこの人たちの一人でありたいと思う。

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